理 事 長 ご 挨 拶
創立者 初代理事長 中川祐俊
昭和25年、創設者の中川祐俊夫妻の二男が3歳のとき病に冒され、半身不随となり、しかも知能の発達が滞ってしまうという事態が起こりました。
中川は一日も早い回復を願って、日本国中奔走しましたが、治療方法も見つからず、訓練のための施設もない。
しかも、社会には似たような状況のまま放置されている子供たちが少なからずいることを目の当たりにし、施設の設立を発願しました。
そんな子どもたちがより良い生活ができるよう、みんなで住む家を建てたのが慈光学園の始まりで、昭和29年のことです。
『自分でできないことは助けてもらって、できることは自分でする。』創立当初より『だれでも、何かできることを見つけて働けるようにな』ることが目標でした。
中川は自らバキュームカーを運転し、子どもたちを助手席に乗せて、近隣の家庭を回り、便所の汲み取りを行いました。
園内にミキサーを設置し、コンクリートを練ってU字溝を作り、土木事務所に買ってもらいました。芝を植え、育てて売りました。昭和40年の頃のことです。
爾来、今日に至るまで、子どもたちを育て、成長して仕事に付けるよう努力してきました。
児童施設の子どもたちで大人の年齢になっても施設を出ていけない人がいました。その人たちのために大人の施設を作りました。就職できても住む家のない人のために家を作りました。今のグループホームですが、最初は生活ホームといいました。
中川は寺の住職でありまして、檀家の方々のご理解を得て、3万坪の寺の敷地を無償で使うことができたのです。
また、地域の要望もあり、小学校の隣に「さしま保育園」を昭和41年に開設し、自然豊かな環境の中で次世代を担う子供たちを保育しております。
平成18年、高齢の施設利用者のためグループホームを設置しました。それは、慈光学園で献身的に働いてくれた職員の老後のためということも含んでおり、すでに2名の退職職員が穏やかな余生を過ごしました。
昭和50年代になって、施設が全国的に次々と増えていった時期に、施設増設の依頼が県当局からありましたが、定員を増やすことはしませんでした。人の多すぎる住まいは住む人の幸せにつながらない、と考え、児童も成人も30人の定員でずっとやってきました。
ご縁があって慈光学園に住むことになった人たち、子どもも大人も共に援け合って「生まれてきて良かった」と思えることを少しでも増やしていきたいと、職員ともども願っています。
どうぞ、筑波山を東に、西に富士山を仰ぐ関東平野猿島野に在る慈光学園においで下さい。
理事長 中川隆子
慈光学園はこんな事業を行っています