柿沼 義教 ₍カキヌマ ヨシノリ₎ 僧名 愚禿
介護福祉士 障碍者施設生活支援員
昭和51年1月、柿沼家長男として生を受ける。先天性外耳道閉鎖あり。生まれつきの左耳形成不全から、ほぼ左耳の聴力はなし。形成も不完全。4歳から杉の子幼稚園入園。その後、町立の小学校、中学校を経て、茨城県立総和工業高校
電子機械科卒。小学校在学中、聖マリアンナ医科大学病院 形成外科にて、外耳の形成手術を三度に渡って施術される。高校卒業後、(株)藤谷電設に入社し1年で退社。その後、越谷保育専門学校
Ⅱ部幼稚園教諭・保母養成学科に入学。卒業後、24時間預かり保育園に就職。3年後退職。福島からヒッチハイクで帰宅する旅に挑戦するも、4日で頓挫。その後は家業のステーキハウスを手伝う。しかし狂牛病の煽りを受け、先行きの不安から父に公立保育園の採用試験を勧められ、結果、公立保育園に採用となる。が、3年経過するころにおたふく風邪に罹り突発性ムンプス難聴の診断を受ける。結果、両耳共に通常の音を聴くことが難しくなり、骨伝導式眼鏡型補聴器を用いることによってとりあえず会話は可能となる。が、保育士の職を続けることの困難さを感じ退職。曹洞宗寺院の門を叩き、出家する。その後、永平寺東京別院
長谷寺にて約1年半安居。乞暇後、再び家業を手伝う。その際、調理師免許取得。接客業に不向きな自分を痛感し、障碍者枠での求人を探し現在の職場に、縁あって常勤パートとして採用される。平成30年4月より職員となり、介護福祉士資格取得。現在に至る。
なるようになる。なるようにしかならない。
捕らわれず、縛られず、あるがままの己を生きる
簡単なことは難しく、難しいことは簡単に考える
人生、楽しんだもの勝ち
持戒は躯となり 破戒はひととなる
やらずに後悔するより やって後悔する
本来無一物
大体が受け売りで、誰かからの影響ですが
自分の中に根付かせ自分の芯とすることができるよう
日々精進しています。
出来ているかどうかは、甚だ怪しいのですが…
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