サンド

庫裏からTALK(くりからとーく)

50 25 日本の生きる道
49 24 学習意欲
48 23 タローの死
47 22 「あ・い・さ・つ」
46 21 本の「読み聞かせ」
45 振り込め詐欺だよおっかさん 20 「子供と仕事」
44 ノーベル平和賞に女性3人 19 「こころの強さ」
43 大震災に想う 18 「限られた命」
42 後ろから拝まれる人 17 「更生」
41 こだま 16 「桜守り」
40 カレンダーを贈る 15 「砂漠の緑化」
39 倉嶋さんの人生訓 14 「狂牛病」
38 子育てにとって大事なこと 13 プロ意識
37 門戸の広い寺に 12 信念と努力
36 聖語の魅力 11 ガイド役
35 向上心 10 心の修行
34 自殺防止のために 09 実物の迫力
33 社会を支える人 08 布施の心
32 紳士たれ! 07 家族の団欒
31 ゆったりと生きる 06 発想の転換
30 この一瞬を真剣に 05 お題目の力
29 「菩薩行」 04 アジサイの花芽
28 江戸しぐさ 03 元朝参り
27 映画「ホテルルワンダ」 02 ひばりの佐渡情話
26 高齢者介護施設 01 日蓮宗の寺




振り込め詐欺だよおっかさん                          平成24年3月10日
  先日ある会社に用があり、階段を上っていました。そこの階段はかなり傾斜がきついので、いつも割合ゆっくり上ることにしています。その日も手すりを使わず上っていますと、上から降りてきたその社の若者が「手すりがありますからお使いください。」と言います。きっと私の姿勢が危なっかしげに見えたのでしょう。自分では若いつもりでも、若者から見れば年寄りに見えて労わられたのだと思うと、可笑しいような寂しいような気持になりました。
 「振り込め詐欺だよおっかさん」
島倉千代子「東京だよおっかさん」替歌
    (作詞:長谷川康男さん:藤沢市)
 1.久しぶりに 電話きて
   もしもし、もしもし俺だよと
   会社のお金を 使ってしまった
   おっかさん
   すぐに すぐに 振り込んで
   ダメダメ サギです気をつけて

2.あの手この手で だまします
   今日もどこかで ねらってる
   電話があったら 相談するのよ
   おっかさん
   泣いてだます 悪いやつ
   信じちゃだめです ほんとうに

 さて、世の中の年寄りは今、危険に満ちた社会に置かれています。その一つが振り込め詐欺です。
 「あやしいと思ったら警察へ」と言いますが、あやしいと思わないから引っ掛かるわけで、難しいことです。
 ある日ラジオを聴いていたら面白い歌をやっていました。島倉千代子さんの「東京だよおっかさん」の替え歌になっています。日頃こんな歌を口ずさんでいたら引っ掛からずに済むかもしれません。


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ノーベル平和賞に女性3人                             平成23年11月1日
  皆様良く御存じのように、ノーベル平和賞は、ダイナマイトの発明者であるアルフレッド・ノーベル(1833 〜 1896 年)により創設されました。
 平和賞の第1回(1901年)受賞者は赤十字社を創設したアンリ・デュナン。それから100人余の受賞者がいますが、女性はわずか12人です。
 そして今年の平和賞では、平和や開発に参加する女性の権利を勝ち取る戦いに、非暴力で取り組む3名の女性が一挙に受賞しました。2人は西アフリカにあるリベリアの人。もう一人はアラビア半島の国イエメンの人です。
 リベリアはダイヤモンドや金、鉄鉱石が豊富なのに15年近く内戦が続いたうえに、汚職が横行し国の収入は役人の懐に入っているような状態でした。2006年に暫定政府の大統領に選出されたサーリーフさんは、それまで独裁政権を批判し弾圧を受けていましたが、大統領に就任すると改革を断行し汚職の排除に努め、資源を管理して疲弊した経済を上向かせました。女性の社会進出も助け、政府の主要ポストに多くの女性を登用しました。
 世界中ではいろいろなところで紛争が続き、暴力がはびこっています。そうした中で暴力や貧困の犠牲者となってきた女性が、解決への役割をしかも非暴力により果たしたことが評価された今回の受賞は、遠い国のことですが、とてもうれしく感じられました。
 イラクにしてもアフガニスタンにしても、男性だけに任せておいたのでは、いつまで経っても平和な世界は構築できないかもしれませんね。


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大震災に想う                                    平成23年8月1日 
 3月11日午後2時46分。私は3月10日発行「実台寺便り」45号の郵送準備で封筒詰めをしていました。初めは「いつもより強めかな?」くらいの揺れでしたが、直後に強烈な揺れが来て、思わず境内へ飛び出しました。その時手にはホッチキス一つが握られていました。とっさの際に出来ることは本当に無いのだなぁと思います。
 目の前の十三重塔は根元から折れるのではないかと思うほど、メトロノームの針のように揺れています。そのうち、一番先端の細長い石が地響きを立てて落ちました。その石自身も、回りの石畳も木も傷つけない絶妙な位置に。(右図)
 その後の報道などから被害の甚大さを知るにつけて、この地域、自分の寺が本当に幸運にも微小な被害のみに終わったことに感謝し、皆様のお墓も倒れた石塔は1基もなく、ホッといたしました。
 以来早5ヶ月近く経ち、今年の夏は電力不足で節電が呼び掛けられ、エアコンの使用も控えめになっています。原発事故は空気、水、土地、食料と汚染は広がるばかりで、人間が制御できないものを作ってしまったのではないかという不安も投げかけており、過度の便利さ快適さを追い求めてきたことへの反省も生まれているように感じられます。 

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後ろから拝まれる人                                  平成23年3月10日
  先日新聞で島田叡(あきら)という戦前の沖縄で最後に県知事を務めた人の話を読みました。
 この人は、西郷隆盛の「偉い人とは大臣とか大将とかの地位ではなく、財産の有無でもなく、世間的な立身出世でもない。一言に尽くせば後ろから拝まれる人、死後慕われる人だ」という言葉に接して、真の自己完成に精進しようと決心したそうです。そして多くの内務官僚が巧みに沖縄から脱出して行った後に、自ら進んで沖縄県知事として赴任しました。約20万人を県内外に疎開させたところで、アメリカ軍が上陸してからの壮烈な地上戦が始まりました。
 「僕ぐらい県民の力になれなかった県知事はいない。多くの県民を死なせた責めを負う」と最後まで投降せず、沖縄に散りました。その時45歳です。
 西郷隆盛がその死後も多くの人に慕われているのは、前述の言葉からもわかる人柄からで有名ですが、この島田氏の話もとても感動的です。
 年間の自殺者3万人超えが13年間も続いているとか、学校を卒業しても就職できないで、将来に不安を抱えている若者が何万人もいるとかという昨今の日本を見るとき、政治のリーダーや経済界の大物と言われる人、社会的に力を持っている人が、本当の意味の責任を果たす決意を持ってもらいたいと思うこの頃です。

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こだま                                          平成22年11月1日

    こだまでしょうか
  「あそぼう」っていうと/  「あそぼう」っていう。
  「ばか」っていうと/  「ばか」っていう。
  「もうあそばない」っていうと/  「あそばない」っていう。
  そうして、あとで/  さみしくなって、
  「ごめんね」っていうと/  「ごめんね」っていう。
  こだまでしょうか、/  いいえ、だれでも。
 この詩は金子みすずの作品です。10月現在テレビやラジオのコマーシャルで流れているので、耳にした方も多いことでしょう。言葉は平易ですが、人間関係をつなげていくうえでとても大事なことを表現していると思います。このコマーシャルの最後には「優しく接すれば優しく返ってくる」というコメントが入っています。
 まさに、夫婦でも親子でも笑顔で接すれば相手も自然と笑顔を返します。家の中は自ずと和やかになるでしょう。反対に、いつも仏頂面をしていると、相手もそうなってしまいます。
 よく「あの人は挨拶もろくにしない」とか、「いつもすました顔をして通り過ぎる」などという文句を聞きますが、案外、自分の態度がこだまのように返ってきているのかもしれませんね。
 相手のことを非難する前に、まず己の態度を振り返るよう心がけたいと思います。
 

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 カレンダーを贈る                                   平成22年7月10日
  サッカーワールドカップ南アフリカ大会開催で注目を集めたアフリカ大陸は世界でも貧しい国がたくさんあるといわれていますが、その中の一つに〈マリ共和国〉があります。〈マリ〉の主食はお米です。でもサハラ砂漠のそばなので水が無く、日本のような水田耕作はできないし、貧しくて肥料を買えないのでとても低い収穫率です。
 私はこの何年か、この国の支援活動をしているグループに賛同してお手伝いをしています。その団体は【マザーランド・アカデミー】といい、衣料、食料などの支援のほか、現地で子どもの教育と農業教育をやっています。
 私はカレンダーを集めて送ります。毎年暮れになるとどこのお宅にもいろいろな方面からたくさんのカレンダーが配られますね。そのうちいくつかは使わずにしまっておかれるか処分されてしまうと思います。そういうものを寄付してもらって送ります。
 カレンダーには美しい風景や花、かわいいペットの写真がついています。それらの写真は教科書の代わりになって、子どもたちに「世界にはこのようなトコロ・モノがある」ということを知らせます。そして日付の数字は種モミの蒔き時、収穫時期を教え、ある時は算数の教材にもなります。1 年が終わったら裏の白い面が、ノートや黒板代わりとして使われます。
 豊かな日本では処分の対象になるものが他の国ではまだまだ役立つという良い例です。「モッタイナイ」は様々な所にあります。

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倉嶋さんの人生訓                                    平成22年3月10日
 気象エッセイスト倉嶋厚さんの、父親について語った話が、朝日新聞に掲載されていました。
 倉嶋さんが思春期に、学校の軍事教練や期末試験、数年後に迫りくる軍の入隊など様々な不安にさいなまれていた時のことです、お父さんは紙と鉛筆を持ってこさせ、縦の線を引き、「おまえは心配ごとを横に並べて怯えているだろう。縦一列に並べられないか。」と言うのです。続いて「差し迫ったものから順に並べろ。こうすると、当面の敵は一人だ。どうしても優先順位がつかないときは、お前か社会が病気の時だ。」と。倉嶋さんは「これは、今も私の人生訓です。」と書いています。
 倉嶋さんだけでなく、これを読んだとき私も「そうだ!」と胸に響きました。あれもこれも同列に置いて悩み焦っている自分にとって、目からうろこが落ちる思いの言葉です。
 もしかすると、鳩山政権にもこの言葉を贈ると良いかもしれません。マニフェストに書いた政策を、優先順位を付けずに手をつけようとしているのを見る国民は、「もう、どうにかしてよ」という気持ちが増していると思います。
 鳩山さん、鉛筆で縦の線を一本引いて考えてください。
 


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子育てにとって大事なこと                               平成21年11月1日
  今年八月末の総選挙で民主党が政権に就き鳩山首相が誕生すると、幸夫人が一躍時の人となり、マスコミに頻繁に登場しています。ついでに鳩山家代々の奥さまの話題も取り上げられます。
 その中で、鳩山和夫(=一郎の父)の妻春子さんがご主人におっしゃったという「もし私をお叱りになりたいと思っても、絶対に子供の前では叱らないでください。」というエピソードが、私には一番印象に残っています。
 この方は女子の教育に並々ならぬ情熱を持ち、単なる良妻賢母ではなく自分の意思をきちんと持った女性が必要だと、今から120年前に共立女子学園を創立しています。
 現在では逆に、子供の前で父親のだらしなさや甲斐性のなさを並べ立てる母親が、子供の心理へ悪影響を与えると問題になります。子育てにとって大事なことは父親、母親が互いに尊敬し合う姿を見せることだと思います。
 子供が見る最初の社会は両親ですから、その二人が、どちらかが常に叱られたり侮られたりしていたら、まともな子どもは育ちませんよね。

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門戸の広い寺に                                  平成21年7月10日
  このごろ特に「お寺の存在とは」と考えることがあります。というのは、年間の自殺者が3万人を超えることがこの10年も続いているという報道に接した後で、和歌山県白浜市の自殺が頻発する断崖のそばで、一人の牧師が自殺防止のための「いのちの電話」活動を24時間態勢で続けているという番組を見たり、年末に大量の失業者が出た時、街頭でその人たちに炊き出しをしたのはキリスト教の団体だったという新聞記事を読んだりすることが重なったからです。
 新聞の投書欄にも「僧侶は何をしているのだ」という趣旨のものが掲載されました。その指摘は当然で、教会の数に比べれば全国のお寺の数はずっと多いし、僧侶の数は牧師さんや神父さんの数よりずっと多いのですから、きっともっと何かできるはずです。(もちろん活動している方もいますが。)
 日蓮聖人は「この世がそのまま浄土となるように。この世に暮らす人に安心を与えるのが法華経だ」とお教えになっているのですから、日蓮宗のお寺にいる私は、お寺が持っている心の平安を保つ知識や広い空間を、もっと社会に生かすよう努力しなければならないと自戒しています。
 困った時、追い詰められた時、「そうだ、お寺に行こう。」と思ってもらえる門戸の広いお寺でありたいと念じています。

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向上心                                        平成21年3月10日
  読売新聞のコラム「街ふれあい」の記事、「定時制卒業、簿記一級」を読みました。
 古河定時制高校を二年前に卒業した市内の主婦Mさんが、全国商業高校協会主催の簿記検定一級に合格しました。Mさんは現在65歳で、定年目前の59歳の時「高校で勉強したい」という思いが強まり入学したそうです。
 簿記の勉強は二年生の時に始め、卒業までに二級を取得、4年間皆勤で卒業した後仕事と家事を両立させながら、独学で2年間かけて一級に挑戦し合格したとあります。
 私より年上のこの方が、仕事と家事をこなしながらこの非常に難しい資格の簿記一級に挑戦し、2年間も努力を重ね、しかも見事に合格したことのすべてに感動します。毎日の仕事が終わった後はついのんびりとテレビを見たりしている自分の姿と比べ、世の中には素晴らしい人がどこにでもいるのだなぁと改めて思いました。
 人はいくつになっても自分を高める努力をしなければいけないということは知っていても、なかなか実行できません。時々こんなニュースを見て聞いて自分を奮い立たせる必要を感じています。

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聖語の魅力                                      平成20年11月1日
 日蓮聖人のお手紙はとても心揺さぶられるものが多く残っています。難しい教義や教理は理解できなくても、お聖人の人間的魅力が多くの信者を牽き付けて、どんな苦難にあっても法華経を信じようという人が多かったのではないかとさえ思っています。
 その中から「上野殿御返事」の一部をご紹介します。
 
「聴聞するときは 燃え立つばかり思へども 遠ざかりぬれば 捨つる心あり」
 
これを次のように訳した人がいます。
「心に浸みた説教も 肝に命じた教訓も その場限りの感激で いつの間にやら置き忘れ 同じ過ち繰り返す それでもまだまし 聞かぬより」
 お聖人の言葉は、なんだか自分のことを言われているようで、何回読んでも恥ずかしい気持ちになりますが、訳文の最後の「それでもまだまし 聞かぬより」に救われた気がします。
 さまざまなことを見聞きし勉強しても、その時は「そうだ、そうしよう」と熱い気持ちになってもなかなか持続できません。
 七百年前のお聖人がすぐそこで見ていてくださっている気がするお手紙の数々です。 

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自殺防止のために 平成20年7月10日
 自殺者が過去十年間毎年三万人を超えているという報道がありました。一人一人に固有の理由があるでしょうが、自殺するまでの段階のどこかで手を差し伸べることが出来たらこの数をずっと少なくすることが出来るでしょう。
 現在のお寺がこの人たちが駆け込める安息の場になっていないことに忸怩たる思いがあります。お寺の空間、静けさ、仏様のまなざしなど、そのために存在しているのに。
 自殺防止に取り組んでいる方が編纂した詩選集『一編の詩があなたを強く抱きしめる時がある』に載っている、ビートたけしさんの「騙されるな」という詩をご紹介します。
人は何か一つくらい誇れるものを持っている/何でもいい、それを見つけなさい/勉強がだめだったら、運動がある/両方駄目だったら、君には優しさがある/夢を持て、目的を持て、やれば出来る/こんな言葉に騙されるな、何も無くていいんだ/人は生まれて、生きて、死ぬ/これだけでたいしたもんだ

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社会を支える人 平成20年3月10日
 新聞の片隅の小さな記事に目が留まりました。「良き市民を表彰」という見出しです。市民社会に感動を与えた無名の市民をたたえる賞で、ある時計メーカーが毎年選んでいます。
 年以上に亘って毎月、東京都荒川区立第九中学校の夜間学級あてに、一回も休まず励ましの手紙と寄付を送り続けた、福岡県の西谷勲さん( )。JRの駅で自分たちが乗った車両のごみを拾ってきた高校生のグループ。外科医として西アフリカニジェールで約 年間、手術や病院建設、医師育成に尽力してきた谷垣雄三さん( )の三名が、今年の受賞者です。
 特に西谷さんの年齢を見ると、ご自分が高校生ぐらいの年から続けている活動であり、お金だけでなく励ましの手紙というところもすばらしいと思います。夜間学級やそこで学んでいる人たちが置かれている、不安定で恵まれない立場をよほどよく理解していらっしゃるのでしょう。
 政治家や大企業の人、高級公務員などが引き起こす様々な情けない事件に日々触れているととても暗い気持ちになりますが、社会を本当に支えているのはこういう無名の人々なのだといつもながら思います。

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紳士たれ! 平成19年11月1日
 今年は、三月に起こった不二家の賞味期限切れ材料使用問題から始まって、ミートホープのにせ牛肉コロッケ事件、「白い恋人」「赤福」比内地鶏偽称と、老舗ブランドを含めた食品偽装問題が多発しました。
 日本人は世界一安心安全の食べ物に関心が高く、日本の商人や職人はモラルがとても高いというのが定評でした。人は見ていなくても「お天道様が見ている」という感覚は永い間私たちの心の中にあったはずです。ところが、これらの問題を見ていると、その感覚はどこに行ったのだろうか、もう無くなってしまったのかという気持ちに襲われます。
 「少年よ大志を抱け」の語で名高いクラーク博士は、札幌農学校で多くの先生が「校則を作りましょう」と言った時、「規則を作るとそれの抜け穴を探す人が出てくる。どうしても作るなら、紳士たれ≠フ1行で十分だ」と言ったそうです。
 紳士たれ≠ヘ、「お天道様が見ている」ことと同じでもあり、仏様の目をいつも感じて過ごすことでもあると思います。自分の心の中に心棒を持ちたいものです。

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ゆったりと生きる 平成19年7月1日
 昨年十月から始まったNHK朝の連続ドラマ「芋・たこ・なんきん」をご覧になっていますか。作家田辺聖子の半生がモデルで、田辺聖子のいろいろな作品がシナリオの土台になっています。作品の中でも「カモカシリーズ」は人気ですが、このドラマにも「カモカのおっちゃん」こと田辺聖子さんのご主人と思しき人物が出てきます。この人がすばらしく素敵な人で(外見ではありません)、私は大ファンです。
 「カモカのおっちゃん」は冷静で且つ温かみのある人物として描かれており、何か事が起こるたびとても味のあるひと言を言います。「人生良い事と悪い事の両方があってトントン」というものその一つ。作家として売れれば売れるほど心無い批判を浴びてカッカとする「町子さん(田辺聖子がモデル)」に言った言葉です。
 とかく人は良いことばかりを望み、少しでもいやなこと、都合が悪いことが起きると過剰に反応して自分を責めたり人をなじったりしがちです。現在の社会のギスギスした感じもそういったところから来ているような気がします。
 「カモカのおっちゃん」のようなゆったりとした気構えを持つ大人が増えれば世の中全体が変わるように思えます。

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この一瞬を真剣に 平成19年3月10日
 「明日死ぬが如く生き、永遠に生きるが如く学べ」。先日ラジオからこんな言葉が聞こえ、一瞬のことだったのにとても心に残りました。
 明日死ぬが如く生き≠ニいうのは今日この日を真剣に、今この一瞬を真剣に精一杯生きるということで、実台寺便り 27号1面にあった、日蓮聖人のお言葉「臨終のことを習ふて後に他事を習ふべし」や「一日暮らし」と同じことを言っていると思います。私たちは限られた命であることをつい忘れ、問題や仕事を先送りにしがちです。今日出来ることは今日やる。簡単なことなんですけれどね…。
 永遠に生きるが如く学べ≠アれもまたなかなか出来るものではありません。こんなこと今さら覚えたからといって、とか、この歳になってこんなことを始めるのはどうかしらなどと考えがちです。
 いつまでも新しいことへの関心や探究心を持ち続けている人は年齢に関係なく若々しく見えます。各行事に参加される檀家さんや、信行会においでの先輩の方々を見ていると、お寺だけでなくさまざまな活動もされていて、そのバイタリティに感動します。
 お寺のことも、子供たちへの読み聞かせ活動も、保護司の仕事も、幸い私には勉強しなくてはならないことがいっぱいあります。明日勉強しようではなく今日からしましょう。そして、もうこれで良いではなく、いつまでも知識欲を持ち続けていきたいと思っています。

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「菩薩行」 平成18年11月1日
 檀家のTさんは、お寺の客殿のトイレなどもとてもきれいに掃除してくださり、いつも感謝しています。その さんについてこんな話を聞きました。
 Aさんのお世話についてです。病気のため体がやや不自由になったAさんは、歩くのもゆっくり、重いものを持ったりするのも苦手です。でも旅行が好きで、旅先で買い物をするのも大好きです。ですから一緒に旅行すると他の人達が見る半分くらいしか見られず、 Aさんが買った荷物を持って歩くことになってしまいます。
Aさんは、悪い人ではないのですが、そうしてくれている人の好意に気づく心配りがやや足りないようです。そのため次第に周りから人がいなくなり、今ではTさんが、ほとんど唯一声をかけてくれる人です。
 Tさんは、自分の友達が来てお茶飲みをするときは Aさんに声をかけ、気の置けない人のところへ遊びに行くときは普段自分一人なら 10分で行かれるところを 30分かけて一緒に歩き、時には自分の家の惣菜を分けて持たせるなど、何気ないけれど温かい手を差し伸べ続けています。
 大げさに言えば「菩薩行」。Tさんご本人は「そんな大層な」とお思いでしょうが、話を聞いている私は深く心を動かされました。

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江戸しぐさ 平成18年7月10日
 「江戸しぐさ」というのが流行っています。
 〈肩引き〉〈傘かしげ〉〈膝おくり〉〈三脱の教え〉などのほか、銭湯でのマナーなど、現代の私たちにも参考になる考え方です。
 というのは、江戸は言葉も習慣も異なる人々が全国から集まる異文化の坩堝でした。当然起きるトラブルや軋轢を未然に防ぎ、人々が安心して楽しく暮らせる手立てとして発達したものだからです。
 人ごみや狭い道で人とすれ違うとき、お互いに肩を後ろへ引く〈肩引き〉。 雨の日、傘の雫が相手にかからないように人のいない方に傾ける〈傘かしげ〉。混んだ場所で一人でも多くの人が入れるようにひと膝ずつ詰める〈膝おくり〉。
 歩道を我が物顔に走る自転車、七人掛けの座席に五人くらいで平気で腰掛けている電車の中の光景を思い浮かべてください。
 〈三脱の教え〉は初対面の人には「年齢」「勤め先」「身分」を問わないことです。余計な情報が入ることで一種の色眼鏡で相手を見てしまうことを恐れたものといえます。
 新聞やテレビを賑わす日ごろの様々な事件の原因を聞いていると、相手の身になって行動するという江戸の人の知恵を、私たちも本気になって学ぶ時だと思うのです。

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映画「ホテルルワンダ」 平成18年3月10日

「ホテル・ルワンダ」という映画のことをご存知ですか。ルワンダというのはアフリカの小国で、民族同士の内戦でわずか三ヶ月の間に 80万人という多くの国民が殺されました。その内戦のさなか、虐殺を恐れて「ホテル・ルワンダ」に逃げ込んだ二千八百人の住民を、ホテルの支配人が軍隊に脅されながらもめげず、ホテルマンとしての自分の人脈などを駆使して助けた実話を元にした映画です。
舞台はアフリカ、内戦の虐殺、登場人物は無名……。アカデミー賞候補にもなるかもしれないと噂される優れた映画ですが、日本ではヒットしないだろうというので、どこの映画配給会社も興行しようとしません。そんな中、 26歳の青年がこの映画が公開されるようインターネットを使って賛同者を集める行動を起こしました。その呼びかけに予想を超える人々が応え、ある配給会社が手を挙げて今年二月に公開され、多くの観客を集めているということです。
この映画をぜひ見たいという一人の青年の熱情が大きな力を呼び起こしました。一人の力は小さいけれど、とてつもなく大きくもなるのですね。「今どきの若者」がこんなすばらしいことを成し遂げた、というのに感動してご紹介しました。


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高齢者介護施設 平成17年11月1日
先日ボランティアの研修で、桐生市にある高齢者介護の施設を見学してきました。広い敷地の中に、養護老人ホーム・特別養護老人ホーム・ケアハウス・介護付きケアハウスが建てられていて壮観です。
制度としてはこの他に、老人保健施設・療養型病床・グループホームがあり、高齢者の介護に関係する施設は現在様々な形態に分かれています。このうち、養護老人ホームを除いては利用者自身が選択して利用します。そのため、自分自身や家族に必要が迫った時、適切に判断して選べるかどうかは日ごろの関心の持ち具合に係っていると思います。その時になってあわてないように、日頃からアンテナを張っておきたいですね。
ところで、見学した特別養護老人ホーム・介護付きケアハウスは、ゆったりとした個室・少人数単位のお世話(ユニットケアと言います)・残された機能を維持するための設備等、とてもよく考えられていて、「将来施設に入る必要に迫られた場合はこんなところを探そう」とささやいている見学者が大勢いました。

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日本の生きる道 平成17年7月10日

 今年のダボス会議(毎年スイスのダボスで開かれる民間の国際会議)で、住友化学という会社が、「殺虫剤を練りこんだ蚊帳(一張 ドル)をマラリアで苦しむアフリカの国へ二千万枚配布します。」という提案をして、大きな注目を浴びました。
 アフリカでは一日に三千人の子供たちがマラリアなどの伝染病で死んでいます。子供たちを救う最も有効でしかも安全な手立てが「蚊帳」です。

 また、チェルノブイリ原発事故の後遺症で、甲状腺がんに苦しむ子供たちを救うために、 52歳で国立大学助教授の職をなげうってベラルーシへ行った、菅谷昭さんという方がいます。
 菅谷さんは傷跡がほとんど残らない手術の名人として有名でした。ベラルーシの若い女性は傷跡のない手術にとても喜んだそうです。そして、菅谷さんは現地で自分の後継者となる医者もたくさん育てました。
 
 このような例を見ると、軍事力ではなく、日本の進んだ技術を生かすこのような行動が、日本が国際社会で本当に尊敬されて生きる道ではないかと考えます。

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学習意欲 平成17年3月10日
 古い話ですが、テレビドラマ「おしん」の中で、一番印象に残っている場面は、子守り奉公に出たおしんが子供を背負った格好で教室の窓をのぞき、授業風景を見ているところです。
 現代でも、戦乱の続いていたアフガニスタンで学校が再開された後、経済的理由で学校へ行けない子どもが遠くから教室の様子を見ている映像がありました。
 日本でもほんの六十年前は小学校 年生くらいで学校をやめ(させられ)、働きに出る子供がたくさんいました。私の母も 年生の途中で奉公に出され、勉強を続けられなかったことを終生悔しがっていました。
 今私が、東南アジアの小学生に奨学金を送る活動(書き損じはがき集め)やバングラディシュの女性に字を教える活動(シュプラニール)への支援を続けているのは、そのときの母の悔しさと、自分が教育を受けさせて貰った感謝の気持ちが原動力なのです。
 豊かになった現在の日本で、学習意欲が減退している子供が見受けられるのは非常に残念です。

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タローの死 平成16年11月1日
 我が家に 18年いた柴犬タローが、 8月19 日の未明に死にました。すでに目も耳も、嗅覚まで衰えていましたが、 7月の半ばまで散歩を喜び、よろよろながらもお寺の周りを一周するくらいは歩いていました。
 「ふるさとまつり」の花火の音に怯えて以来めっきり衰えが目に付き、 8月2日からは水しか受け付けなくなりました。それでも内臓が悪いわけではないのでとてもおとなしく、一日中ほとんど寝ている状態が続きます。
 8月17日と18日は留守番の人に頼んで出かけましたが、その留守にでも死んでしまうのではないかと心配しながらの身延行きでした。 18日の夜帰ってきて一番にタローの様子を見ます。ぐったりはしていてもこちらの声の方に顔を向け、たしかに息をしています。
 でも明くる朝、眠っているような安らかな顔で息絶えていました。まるで私たちの帰りを待っていたかのようです。穏やかな気性でどれだけ私たちを和ませてくれたか。
「本当に、長く良く、生きてくれました」と声を掛けて葬りました。

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「あ・い・さ・つ」 平成16年7月10日
 先日ラジオを聴いていましたら、こんな話が耳に飛び込んできました。「挨拶は、あ・い・さ・つです。あ(明るく)い(いつでも)さ(先に)つ(続けて)ということですよ。」
 ある小学校の校長先生のお話でした。
 挨拶は明るい声で、人より先に、いつでも続けてすることに価値がある。
 私たちは、とかく「私が挨拶したのに、あの人は無視をした。」とか、「いつも自分のほうからばかりするのは癪だから、今度は声を掛けられたらしよう」とか考えがちです。
 世の中に起きている隣人同士の揉め事や、学校・職場でのいじめなどもこの考え方から発している場合が、あると思います。あるいは家庭内での嫁姑問題などにも、大いに関係あるのではないでしょうか。
 相手がどんな態度でも、自分は変わることなく続けているというのは、とてもエネルギーのいることですが、結局最後は自分のためになっていることに気付きます。

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本の「読み聞かせ」 平成16年3月10日
 小学生が家族にいらっしゃるご家庭ではご存知でしょうが、今小学校では「読書の時間」が設けられて、朝の20分間、各自が自由に本を選んで読んでいます。
 私は町の「すばる」という朗読ボランティアグループに属していて、いくつかの小学校と学童保育所や集会所で絵本・本を読んでいます。そこで感じるのは子供たちは本を読んで貰うのが本当に好きだということです。
 三・四歳の小さい時はどこの親御さんも子供への読み聞かせをしますが、字が読めるようになると「自分で読みなさい」と突き放してしまいがちです。でも、子供たちは自分で読むと、字を読むことに追われて想像を膨らませる余裕が無く、同じ本でも読んで聞かせてもらうと全く違う味わいを感じるようです。
 絵本や本を読んであげる・読んで貰うというのはとても贅沢な時間と空間です。子供にとって親しい人の肉声はどんな名優のどんな上手な朗読にも負けない魅力を持っています。
 上手く読めるかどうかは余り問題ではありません。どうぞお子さんやお孫さんにたくさん読んであげてください。
 ご自分にとっても豊かな時間になると思います。

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「子供と仕事」 平成15年11月1日
 先日Hさんと御孫さんの直哉君が訪れました。
 直哉君は小学校三年生で、水泳やサッカーに張り切る元気少年です。
 ハッキリしたことばと声で受け答えをしてくれる気持ちの良さ。いろいろな話の後で。
 「僕ね、畑の手伝いもするよ。」
 「何を手伝うの?」と私。
 「このあいだね、朝四時に起きてお父さんと二人でレタスを採ったの。コンテナに十四個も入れて軽トラックまで運んで載せた。」
 「四時に起きたの?」
 「そう。お母さんは夜十二時頃まで忙しくて、朝は起きられないから。」
 直哉君は長男で、まだ手のかかる下の子の面倒をみるお母さんの大変さを知っています。
 「トラクターにも乗るよ。でも難しいのはできないの。お父さんはレバーを動かすのがとっても早いんだ。」
 お父さんに男として認められ一緒に働く誇り。お父さんへの尊敬と、お母さんへの思い遣り。
 何年か前にはどこにでもいた「普通の少年」を感動を持って見つめました。
 そして、子供に応分の仕事をさせる親の姿勢にも。

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「こころの強さ」 平成15年7月10日
 大阪でも荒れた中学として知られていたある中学校の先生が、その中学校で六年連続日本一の陸上部を作り上げ、学校全体を立て直したそうです。
 その先生はオリンピック選手を研究し、一流選手になるのは技術ではなく《こころの強さだ》と感得しました。そこで、部員たちの心を強くさせるため、「どんな小さなことでも長く続ける」ことを指導しました。
 それは徹底していて、食後の皿洗いをすると決めた生徒が風邪を引き、保護者から「今日は40℃の熱があるので休ませても良いでしょうか」と電話がきた時、「いいえ、たとえ枕元でお皿に触らせるだけでもよいから続けさせて」と答えるほどだったそうです。
 人は何かの言い訳が付くと思うとついそれに甘えてしまうものです。この先生はそれを知っているのでこのように厳しく対応したのでしょう。
 「継続は力なり」という言葉がありますが、私にはここまで徹底することはとてもできそうもありません。

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「限られた命」 平成15年3月10日
 毎週火曜日の夜「僕の生きる道」というドラマをやっています。スマップの草g剛が主演というので少し抵抗はあったのですが、スキルス性のガンに冒された主人公(高校教師)が「一年という限られた命を生きる」という設定に惹かれて見始めました。
 人は、明日がある、来年がある、十年先がある、……と漠然と思って生きています。もし自分に与えられた時間が一年と限られたら、自分はどう生きるだろう。何を優先順位の一番にするだろう。
 そう思って自分の日頃の生活を思わず見回します。「お寺でのお給仕が一番の大事」のはずですが、なかなかそうなってはいません。お祖師様の言葉に『…かしこきもはかなきも、老いたるも、若きも定め無き習いなり。されば先ず臨終の事を習うて後に他事を習うべし。』とあります。
 言葉を知っていることと実践することの間には太平洋くらいの隔たりがありますね。

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「更生」 平成14年11月1日
日蓮宗新聞六月十日号の「言葉のえにし」というコラムに、「更生」という言葉が取り上げられていました。
普通は「こうせい」と読みますが、仏教では「きょうしょう」と読み、元は仏教語から来ているそうです。
なぜこれが目に止まったかというと、私は保護司をやっており、非行少年の「更生」とか、犯罪者の「更生保護」とか言う使い方をよくしています。それが仏教から来ていたのだと知って、お寺の人間が保護司をやっている縁を感じたのです。
「更生」は辞書には「生まれ変わること。過去を清算し、出直すこと。不用品を再び使えるようにすること。」とあります。仏教においても、過去を乗り越えて、新しく生まれ変わることを意味していますが、仏伝の物語ではさらに、自分自身の強い意志によって、初めて生まれ変わることができるのだという教えがよくわかります。
立ち直るのは強い意志を持った人というのは、保護司としての実感です。

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「桜守り」 平成14年7月10日
身延山の枝垂れ桜の時期に遭うことはなかなか難しく、一度は花を見たいと思っていました。今年は思いがけず予定が立ち、三月二十五日に出かけました。例年より約十日早い開花で、枝垂れ桜はちょうど満開です。お山のそちこちにあふれるばかりに咲く桜。
その後、約二時間かけて武川村実相寺(日蓮宗)の、樹齢千五百年という「神代桜」も見に行きました。ここでも開花時期が例年より早かったのが幸いして見ることができました。
ちょうどその頃テレビで桜守りの人のことをやっていましたが、そのひと言が印象に残りました。
「私は桜を世話したり育てたりしているのではない。桜を守りしているだけだ。」
その子だけを見る「子育て」ではなく、少し離れて見守る「子守り」が大切かもしれません

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「砂漠の緑化」 平成14年3月10日
 一昨年の十一月号に、「砂漠を緑化するためにタネを集めていますのでご協力を」という記事を載せました。その運動をしている人の報告で、全国から二十五dのタネが集まったそうです。
 私もタネを採り、乾燥して送りましたが、百cを集めるのにも時間と手間がかかりました。ですから多くの人の力は集まるとすごいものだなと実感します。
 ところで、タネ集めをしている間、普段は厄介ものに感じていたコスモスの群落や、種がやたら多いスイカやカボチャがとても頼もしく感じられ、自分でもおかしくなってしまいました。
 スイカやカボチャは畑の隅に捨ててもすぐ生えてきます。この生命力が砂漠で生かされることを願っています。

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「狂牛病」 平成13年11月1日
  同時多発テロ事件とともに今私達を不安に陥れているのが「狂牛病」問題です。「狂牛病」は、より効率よく牛を育てるために、牛のえさとして牛の肉や骨を食べさせる、言ってみれば牛に共食いを強制したのが原因とされています。
  本来草食動物である牛に肉を食べさせるという、自然の摂理に反した人間の身勝手な行いがこのような事態を招いたのだと思います。
  思い返してみると、PCB・ダイオキシン・フロンガスと、人間が効率や生産性を求めて、本来自然界にはなかったものを作り出した結果がもたらす悲劇がたくさんあります。
  私達が豊かさを求めてきた方向、手段に何か間違いがあったのではないかと考えさせられます。

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プロ意識 平成13年7月10日
夏の強い日差しとともに、また雑草との格闘の日々が巡ってきました。昨年の夏、ある農家の方と「草取りが大変だ」という話をしていました時、「うちの親父は『草を見ずして草を取れ』と言っている」と聞きました。その意味は、まだ目に見えないような小さいうちに抜くことが草取りの極意ということです。
『草を見ずして草を取る』という言葉にとても強く惹かれました。私などは、「まだいいか」といって日を過ごすうちに、草はしっかりと根を張ってしまい、後で大変な思いをします。
 大事に至らないうちに先手を打って物事を処理する心掛けが大切という、プロの意識の高さを教えられた思いがしました。

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信念と努力 平成13年3月10日
「プロジェクトX」という番組(NHK火曜日午後9時15分)を毎週楽しみに見ています。一つの事業を取り上げて、その完成までの足跡を追うものです。「新幹線」「南極観測船」などが取り上げられてきました。
 毎回感ずるのは、一つのことをやり遂げた陰には強い信念や情熱を持った人がいて、その人の周りにそれに共鳴する多くの人が集まってきた結果、不可能と思われることが成し遂げられたのだということです。
 三月六日の放送では、北海道の襟裳岬の砂漠に半世紀に亘って植林し続け、海を汚す不毛の地を森に変えて、昆布の海を守った人が紹介されていました。本当に無名の漁師さんでしたが、その強い信念と努力に感動しました。

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ガイド役 平成12年11月1日
 シドニーパラリンピックが開かれ、今回は新聞やテレビでも大きく取り上げるようになったので、選手の名前なども知られるようになりました。
 そんな中で、視覚障害のある選手のためにガイドとして 一緒に走る人がいます。マラソン・百b・自転車競技など。競技者と一緒に走って、その人の力を精一杯発揮させながら、しかも自分の存在を気付かせるような動きかたをしてはいけないという難しい役回りです。
 競技者の並々ならぬ努力の結果にも感動しましたが、私は寺にいる者の一人として、悩みや悲しみで心の眼が見えなくなっている人の傍らに寄り添い、共に歩んでいけるような《ガイド》になれたらと思いつつパラリンピックを見てしまいました。

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心の修行 平成12年7月10日
 先ごろSさんがお寺に来られ、「私は結婚以来三十年間、毎日欠かさずお仏壇を掃除し、たえず新鮮な花を上げています。」という話をされました。家の都合でなかなか外に出られないので、お寺の行事にも参加できないけれど、私のお寺は自分の家の仏壇だと思っているという言葉もありました。
 花を替えたり、花の水を替えたりするだけでも毎日となると立派だなと感心しますが、仏壇を毎日掃除するなんて並大抵のことではありません。まさしくSさんはそのことが自然に心の修行になっているのでしょう。
 ご主人もお子さん達もSさんのことを良く理解してくれていたわってくれるので、今はとても幸せだというお話でした。

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実物の迫力 平成12年3月10日
 一月四日。 友人の個展を見るのが目的で、久しぶりで銀座へ出かけました。楽しいひと時を過ごした後、思い立って「相田みつを美術館」へ寄りました。数寄屋橋阪急の五階にある小さな美術館です。
 中に入り作品の前に立つとその力強さに圧倒されました。今までは本でお書きになる言葉に惹きつけられていましたが、本や写真では分からない作品の大きさにまず驚き、迫ってくる力を感じます。
 実物の持つ力。ビデオやインターネットがいくら発達しても、やはりこればかりはかないませんね。

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布施の心 平成11年11月1日
 今年の施餓鬼会は参詣者が多く、お手伝いの方も大忙しでした。その手伝いをしてくださった一人、Tさんの言葉。「この前手伝った時、あまり良いきゅうりを使ってなかったので、今年は今日収穫できるように種を蒔いて作っておいた。」というものです。そのきゅうりは見るからに新鮮で、柔らかく美味しそうでした。
  施餓鬼の時の賄いは忙しい上に暑くてたいへんです。そのことを苦にするどころか、何ヶ月も前から、皆さんのためにその日のことを心がけていてくださる。「布施の心」と口では言ってもなかなか出来ないことと、有り難さが身に沁みるとともに、大いに学びました。

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家族の団欒 平成11年7月10日
  昨年十月から今年三月まで、境一中で「心の教室相談員」というのを勤めました。社会問題になっている中学生の心の荒れに対して、先生ではない普通の大人が接することで、何とか解決の道を探ろうという文部省の政策の一つです。
 檀家さんのご子弟も一中に居られ、朝会で私が紹介されるとすぐ家で話題になったという話も聞きました。また、生徒と話をしているうちに檀家さんのお孫さんであることが分かり、その子の家で話が出たとも聞きました。
 学校でのことが話題に上るような家庭であれば「心の荒れ」とは無縁で、温かい親子関係、孫との関係が築けている、さすが我が寺のお檀家さんだとうれしくなりました。 

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発想の転換 平成11年3月10日
 恥ずかしながら、私はお汁粉に使うあずきと赤飯に使うあずき(ささげ)の区別がお豆の段階ではつきません。
 お会式の際、お汁粉を作ろうと、かなり大量のお豆を煮始めました。でもこれは違うとすぐ気づきました。改めてお汁粉は煮直しましたが、始めに間違った大量のささげが残っています。ささげは赤飯に使うものという観念がありましたのでどうしようと思いましたが、捨てるよりはましと思って醤油・砂糖・味醂で煮てみました。すると、これが思いのほか美味しく、お会式のお斎にも出したところ結構食べていただきました。
 怪我の功名とでも言えましょうか。固定観念を捨てる・発想を変える・生かす道を考える。どれも大切なことを学んだ気がします。

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お題目の力 平成10年11月1日
 七月から十月にかけて、七面山登詣・身延山合同輪番奉仕・池上本門寺お会式参拝・鎌倉の日蓮聖人由緒寺院歴拝と、集中的に諸寺参拝の機会に恵まれ、その度に違った感動を味わいました。
 初めて経験した輪番奉仕では、今までにないほど日蓮聖人を身近に感じられ、また、本門寺お会式では、多くの若者達が、思い思いの衣装とお囃子に合わせて纏を振るのを眼前に見て、こうした若者を惹きつけるお題目の持つ力の大きさを実感しました。

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アジサイの花芽 平成10年7月10日
 梅雨の間中美しく咲いていた庭のアジサイも真夏の太陽に照らされてしぼんでしまいました。
 今年のアジサイは殊のほか色鮮やかな気がしていましたが、やはり理由があったようです。それは、昨年の夏・秋の気候がアジサイの花芽にとって最高だったということです。アジサイの花が鮮やかかどうかは今年の梅雨ではなく、去年の夏、つまり約一年前に決まっていたのです。
 この話を聞いた時、なんだかとても胸に響きました。人生でも、花を開かせた人にはきっと人目につかない時・所での栄養や努力があったのだなあと。

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元朝参り 平成10年3月10日
 毎年元旦には朝勤の時に、一緒にお経を上げさせていただきます。六時から七時まで一時間の朝勤が終わって山門の方へ振り向くと、ちょうど元旦の朝日が門の上にさしかかってきます。 毎年その時を狙って元朝参りにくるMさん。そのMさんから話を聞いたと、今年はSさんが来ていました。あいにく少しもやった感じの日の出でしたが、「元日の早起きはまた格別のものでとても気持ちが良い」とSさんの言葉です。
 凛とした空気の中でのお題目とその後に拝む日の出。来年はあなたも経験してみませんか。

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ひばりの佐渡情話 平成9年11月1日
 七月二十七日、仕事をしながらラジオを聞いていましたら、「佐渡に流された日蓮聖人が……」というのが耳に止まりました。ナニ?と思って注意して聴きました。
 年配の方ならご存じの浪曲『佐渡情話』と、美空ひばりの『ひばりの佐渡情話』の話でした。
 島の娘おみつと柏崎の人吾作との恋物語で、恋しい吾作にあえずに心を乱してしまうおみつに、日蓮聖人が奇跡を起こして二人を救うという結末です。
 日蓮聖人が人々に広く慕われていたから言い伝えられたお話ですね。(ところで、『ひばりの佐渡情話』の歌詞を知っている人、教えて下さい。)

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日蓮宗の寺 平成9年7月10日
 Nさん「今度誘われて、柏の方のアジサイのお寺に行くんだよ」
 私「あゝ、それなら松戸の本土寺でしょう。日蓮宗で、ウチともご縁の深いお寺よ」
 Nさん「それで柴又の帝釈天にも行くんだって」
 私「あら、そこも日蓮宗のお寺よ。彫刻の見事なところを見てきてね」
 と言うようなある日の会話。そしてNさんは一緒に行った方にも、この両方のお寺が日蓮宗であることを教えて喜ばれたと、後日話してくれました。

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